サックス(サクソフォン)の歴史は、他の管楽器に比べて新しく、1840年ごろにベルギーの楽器職人アドルフ・サックスによって設計されました。サクソフォンの名前は、この制作者であるサックスに由来しています。

彼の父シャルル・ジョセフ・サックス(1791〜1865)は、ウィリアム1世にベルギー陸軍楽団の公式楽器メーカーとして雇われました。王室の任命はサックスの名前に権威を与え、若いアドルフが貿易を学ぶことを可能にしました。6歳のとき、アドルフはクラリネットにサウンドホールを開ける作業をしていました。15歳のとき、アドルフはブリュッセル産業博覧会に出場し、2本のフルートと象牙で作られたクラリネットを出品しています。

1841年、アドルフはベルギーを離れ、パリに工房を移しました。サックスは、彼の出品楽器を推薦しなかったため、ベルギー国立博覧会に幻滅したと言う説もあります。

アドルフは、金管楽器のように遠くまで音が響き、木管楽器のように素早く音が変化する楽器を作れないかと考え、サクソフォンを考案しました。

1846年にアドルフはサクソフォンの特許を取得していますが、実はその時点で彼は大小さまざまな14種類ものサクソフォンを考案していました(現在主に使用されているものは6種類です)。


彼の夢は、サクソフォンだけで構成されたオーケストラを作ることでした。

サクソフォンが発明されたばかりの1840年代には、はやくもサクソフォンがアンサンブルとして使用されたり、イギリスやフランスの軍楽隊でも使用されたりと、「新しい楽器」としての注目度は高く、ヨーロッパ中に広がりました。

しかし、1800年代の終わりごろには、ヨーロッパでの人気は衰えを見せはじめました。例えばパリの音楽院では1870年からサクソフォンの授業が行われなったりと、サクソフォンは停滞の時期を迎えました。

パリでダイナミックに活動したこの多作なベルギー人は、フランスの音楽界を賛否両論に分けました。

彼はライバルによって引き起こされた訴訟と戦い、生涯3回破産しました。サックスの特許が「サックス」によるものでなくなったとき、ライバルは模倣品を多数作り始めました。

アドルフは1894年に亡くなり、パリのモンマルトル墓地に埋葬されました。彼は晩年に唇がんと極貧の両方と戦っていました。

そんな中、サクソフォンの人気を支えたのがアメリカ地域です。
1872年、サクソフォン奏者のエドワード・A・ルフェーブルという男がニューヨークに移住し、サクソフォンの普及活動に従事しました。彼は、サクソフォーンの楽団を結成し、演奏会を行ったのみならず、金管楽器メーカーと協同し、それまでは高価で手に入りにくかったサクソフォンを改良し、安価に大量製造できるようにしました。
その結果、アメリカではサクソフォンが飛躍的に入手しやすくなり、アメリカにサクソフォンが普及していきました。

サクソフォンは、ヨーロッパのクラシック音楽の世界ではあまり受け入れられませんでしたが、アメリカにおいてダンス楽曲、そしてジャスミュージックの中心として、人気の楽器となりました。
そのような、ダイナミックな「魅せる演奏」が要求されるジャズ界の中心にあって、サクソフォンも幾度もなく改良を迫られましたが、1940年代の終わりには、現在流通しているモデルのものが生まれました。
そして、日本でも1953年に東京藝術大学にサクソフォン科が開設されるなど、人気の楽器の一つとなり、今日に至るまで、世界中の様々な音楽シーンで愛される楽器になりました。


その一方で、サクソフォンの新しい可能性として近年注目を集めているのが、「電子サックス(ウインドシンセサイザー)」です。
その歴史は意外と古く、電子サックスが世に誕生したのは1974年、コンピュトーン社が販売した「リリコン(Lyricon)」がそのはじめとされています。

リリコンは画期的なモデルであり、リードを加える力や息遣いを感知することができるため、細やかなコントールが可能で、音楽シーンでも使用されましたが、一方で商業的な成功は納めず、その特許はYAMAHAに譲渡されることになりました。

そんな中、2016年にローランド社が発売した「エアロフォン」はサックスのファンのみならず、多種多様な分野の注目を集めています。音色の美しさや、持ち運びの楽さなどが人気の理由です。
300種類以上の音色をエアロフォン一つで奏でることが可能であり、従来のサクソフォンとは次元の異なる音楽体験ができる点に注目が集まっております。

様々な音色を奏でられるエアロフォンという存在は、サクソフォンの創造者アドルフ・サックスが夢見た「サクソフォンだけのオーケストラ」という野望を170年越しで叶える魔法の楽器かもしれません。