ベートーヴェンは生涯に(幼少期の作品・未完の作品を除けば)32曲の「ピアノソナタ」という作品を書いていますが、その中でも特に有名な3つのピアノソナタが「悲愴」「月光」「熱情」で「三大ピアノソナタ」と呼ばれています。


特に「月光」はベートーヴェンのピアノソナタの中でも異色の作品となっています。この曲の1楽章を演奏者の視点から見ていきましょう。演奏する方も、聞く方も、新たな発見があれば幸いです。


「月光」の正式なタイトル

「月光」というのは通称で、ベートーヴェンがつけたと思われる正式なタイトルは、「チェンバロまたはピアノのための幻想曲風ソナタ」(SONATA quasi una FANTASIA per il Clavicembalo o Piano - Forte)です。

幻想曲とは、意味合いとしては即興曲に近く、形式にとらわれない自由な曲という意味です。

クラシックの楽曲で幻想曲と言いつつ「幻想」のイメージから遠い曲があるのはこのような事情によります。


実は自筆譜の1ページ目は紛失されており、初版の楽譜からしか正確なタイトルはわかりません。

ただ、初版の楽譜はベートーヴェンの自筆譜を正確に清書しているため、おそらくこのタイトルも(出版社の提案はあったかもしれませんが)ベートーヴェンのものと思われます。


また、この曲はジュリエッタ・グイッチャルディに献呈されています。

ジュリエッタはベートーヴェンが慕う女性だったようです。


破格の1楽章

ピアノソナタという作品名は古くからありますが、現代に至るまでのピアノソナタの原型を作ったのはベートーヴェンの師匠でもあるハイドンです。


ハイドンは1楽章を軽快、あるいは壮大な曲、2楽章をゆったりとした曲、3楽章があれば舞曲、そして最後の楽章は華やかな曲、という形式でピアノソナタを確立しました。


そして、ベートーヴェンもそれをしっかり受け継いでいます。

しかし「月光」だけはゆったりと静かなフレーズが延々と続く破格の曲となっています。

初版の譜面を見てみると上に「Si deve Suonare tutto questo pezzo dilicatissimamente e Senza Sordino」と書かれています。

これは、「曲全体を通して、極めて繊細に、弱音器なしで演奏されなければならない」という意味になります。


ここで、「弱音器なしで」とは、「ダンパーペダルを踏みっぱなしで」の意味になります。ダンパーペダルは、音を伸ばす通常のペダルです。

「弱音器なしで」を「弱音ペダル(左のペダル)を使わない」という意味と捉えないように注意が必要です。


ここで、どうしても、現代と当時のピアノの構造の違いに踏み込まなければなりません。


当時のピアノの響きを考える

「チェンバロあるいはピアノのために」と書かれているように、この曲はチェンバロで演奏しても良いわけですが、チェンバロで演奏すると、音の伸びがピアノよりも圧倒的に少ないので、響きも足りなくなってしまいます。


これは当時のピアノでも同じで、ペダルを踏みっぱなしにしていても(当時はペダルではなく膝でレバーを操作するので、正確には「上げる」ですが)響きの減衰が速いため、にごった響きにはなりにくくなっています。


しかし、現在のピアノで、ダンパーペダルを踏みっぱなしで演奏してしまうと、濁ってしまい、何がなんだかわからなくなってしまうので注意が必要です。


ピアニストの腕の見せどころ

さて、このように、現代のピアノと当時のピアノの違いに当たってしまったときこそ、ピアニストの腕の見せどころです。


ピアノのペダルはオン・オフの二通りではありません。ハーフペダルという技術があり、響きの一部を消しつつ、伸ばしたい音を伸ばしたり、響きを作りだしたりすることができるのです。


これは右足のミリメートル単位の操作と、鍵盤とペダルのタイミングの微妙な制御によって成り立たせることができます。

例えば、私は次のようなことを考えて冒頭の3小節のペダルを決めます。


右手だけ伸ばして左手を切る、とか、左手を響かせて右手を濁らないようにする、といったペダルの技術は経験も必要ですが、何より「残響を聞く」ことが大切です。

今鳴らしている音だけでなく、残響まで聞くことによって、このような微細なコントロールが可能になってきます。


クライマックスをどう弾くか

ベートーヴェンは、表現をしっかり書き込む作曲家です。

しかし、この曲で最も高い音が出てくるクライマックスでは、何も表現記号(フォルテ・ピアノ・クレッシェンドなど)が書かれていません。


普通なら、この上っていくフレーズにクレッシェンドが付き、下っていくときにはデクレッシェンドが付くでしょう。

事実、曲の終わりの似たようなフレーズには、大きくクレッシェンド・デクレッシェンドが書かれています。

このクレッシェンドは書き忘れなのでしょうか。

それとも、淡々と弾いてほしいのでしょうか?

…それとも、他の解釈があるのでしょうか。


これはピアニストに委ねられるところで、絶対的な正解があるわけではなく、様々な演奏があるでしょう。ぜひ、いろんなピアニストの演奏を聞いてみてください。


クレッシェンドの先のピアノ

クレッシェンドの向かう先は強い音であるはずです。

それにも関わらず、ベートーヴェンは48小節目のクレッシェンドの到達地点をピアノにしています。


いったいこれはどういうことなのでしょうか。

二つの解釈が考えられます。


まずひとつは、もともとppだったところから、クレッシェンドしてpになる、という解釈。

もう一つは、大きくしていき、突如として弱くなる、という解釈です。


後者の表現は効果は絶大ですが、かなり強い表現にもなってしまいます。

自然に流れるように弾きたい場合は、むしろ前者のほうが良いでしょう。


弾き手に多くのことが委ねられている

「月光」に限らず、クラシック音楽は、弾き手の解釈次第で色々な弾き方ができるのが魅力です。

その解釈を美しい音楽として成り立たせるのは、わずかな音のほころびも聞き分けることができる耳と、全ての音をコントロールして弾くことができる技術になります。


ぜひ、いろんなピアニストの演奏を聞いてみてください。

そして、ピアノを演奏する方は、好きな解釈を自分の演奏に取り入れて演奏してみてください。