新年といったら必ずといってよいほど流れる曲、というよりむしろこの曲が新年を運んでくるといってもいいかもしれません。そんな日本人の心に深く染み込んだ「春の海」をご紹介します。お琴と尺八という、いかにも日本の伝統的な曲という感じがしますが、作曲年代は比較的新しく、西洋音楽と日本の音楽が融合しており、世界中で親しまれている名曲です。
作曲者・宮城道雄
まずは「春の海」の作曲者である宮城道雄を紹介します。1894年生まれで、生後まもなく眼病を患い、7歳のときに失明していまします。
ここでいきなり話が逸れますが、日本の平安時代、仁明(にんみょう)天皇(在位810年~833年)の子、人康(さねやす)親王が失明してしまいました。そのため出家した人康親王が盲目の人を集めて音楽や詩歌を学ばせたことがきっかけとなって、盲目の人には盲官という官職があてがわれ、その中の最高位の人を「検校(けんぎょう)」と呼ぶようになります。
検校は江戸時代までその官職が継承され、日本の音楽文化の担い手として大活躍をしました。明治時代には検校が廃止されましたが、盲目の音楽家である宮城道雄のことを讃えて「宮城検校」と呼ぶこともあります。
宮城道雄は失明した直後の8歳から音楽を志し、生田流筝曲を学び始めます。幼くして箏と尺八の名手となり、11歳で免許皆伝、13歳にして指導者となり、14歳で初代総理大臣伊藤博文に高く評価を受けるなど、数々の活躍を見せました。22歳のときには「大検校」の称号を受けています。
その後は日本中を巡り、日本の伝統的な音楽だけではなく、西洋音楽の作曲家や演奏家などとも交流を持ちます。1929年に尺八と箏のための「春の海」を作曲し、フランス人のヴァイオリニスト、ルネ・シュメーによって尺八がヴァイオリンに編曲され、宮城道雄本人との演奏が録音されました。これは世界中で大ヒットとなり、宮城道雄の名前も世界に知れ渡ることとなりました。
この演奏は遊び心に溢れており、楽譜から離れてルネ・シュメーと宮城道雄の楽し気な会話が聞こえてくるようです。
春の海に使う楽器
春の海の音色は、やはり尺八と箏という印象がありますね。普段あまり聴くことのない和楽器ですが、だからこそこの楽器の音色を聴くだけで新年を想起させるような力があります。この尺八と箏について見ていきましょう。
尺八
尺八は、一尺八寸(約54.5cm)が語源となっており、標準的な尺八はこの大きさとなります。古くは1本の竹の根本を切り出して加工しました。指孔はたった5つで、前面に4つ、背面に1つの孔があります。尺八の指孔の面白いところは、左手を上にしても右手を上にしても構わないところです。演奏中に襲われたときに尺八を武器として持てるような持ち手にするべき、というような説もあるようです。
歌口に斜めに切れ込みを入れ、その切れ込みに息を当てるように吹き込むと、空気の渦が生まれ、尺八の独特な音が鳴ります。フルートも同じ原理ですが、歌口の形や孔の数などは全く違うため、音色も大きく異なります。
琴古流や都山流など様々な流派があり、それぞれ演奏法や宗教性などの他、演奏する楽曲も異なります。
尺八の魅力は幅広い音色にあるといえるでしょう。たった1音鳴らすにも様々な技法があります。
「一音成仏」という言葉があり、尺八の一音にして演奏者と聴く者を悟りの境地に至らせ、尺八の音は仏の声となることを意味し、尺八の理想とされます。
尺八の面白い文化の一つに、虚無僧(こむそう)があります。虚無僧は、禅宗の修行として頭に籠を被って尺八を吹きながら各国を歩き渡り、托鉢を行います。江戸時代には幕府による虚無僧の服装などの規定もあったようです。現在でも尺八修行として虚無僧を行う人達がいます。
「春の海」においては、主題で朗々と歌う役割を受け持ち、尺八の持つ音色そのものの美しさを存分に引き出すことができるようになっています。また中間部では尺八の機動力を活かし、箏との掛け合いを展開し曲を華やかに彩っています。
箏
箏は非常に古い歴史を持ち、春秋戦国時代(紀元前8世紀~3世紀)には既に存在していました。日本には奈良時代に唐から伝来し、以降日本の伝統楽器として現代に至るまで広く演奏されています。
絃は通常13本あります。各絃の調弦を、柱(じ)とよばれる駒を立てて行うことが特徴的です。また、弦の弾くほうと柱をはさんで反対側を左手で抑えることで、半音から全音程度音程を変えることができます。絃は爪を付けた右手と、爪を付けない左手両方を使って弾きます。爪をつけるとそれだけ明瞭な音になり、華やかな旋律を作ることができます。絃は互いに共鳴するため、1音でも豊かな響きを持つほか、左手の操作でヴィブラートを掛けることが可能です。西洋楽器でいうとハープに良く似た構造の楽器ではありますが、尺八とフルート同様、聞いてすぐにわかるほどの違いがあります。
流派には主に山田流と生田流があり、爪の形や構え方などが大きく異なります。
宮城道雄は、箏に改良を加え、17本の絃を持つ十七絃という楽器を作り、この楽器も箏と同じように広く普及しました。
「春の海」の箏の役割は多彩で、始めは伴奏に徹していますが、その伴奏が特徴的で、しかも優雅なため、尺八が演奏に参加する前から「春の海」が始まったんだな、と思わせる力があります。その後は力強い伴奏でリズムを作ったり、流れるようなパッセージで曲を進めていったり、尺八との掛け合いをしたりなどとまったく飽ることなく、宮城道雄の天才的な構成力が発揮されています。
西洋音楽と日本の伝統音楽の融合
日本の古典音楽では、箏と三味線と尺八が良く用いられ、これらの楽器を用いた曲のことを「三曲」と呼びます。とくに箏と三味線と尺八の合奏のことを「三曲合奏」と呼びます。三味線を弾く人が歌い、それに対して伴奏として楽器が演奏するような形態をとりますが、いわゆるハーモニーを付ける西洋音楽的な伴奏ではなく、旋律を重ねることで、音色を豊かにしたり、リズムを補強するという役割を担います。
もちろん全くハーモニーが無いわけではないのですが、西洋音楽的なハーモニーとはそもそも発想が違います。
「春の海」は箏と尺八の二重奏ですが、はっきり尺八が旋律、箏が伴奏とわかります。古典のような重厚な音楽ではなく、西洋音楽的なハーモニーの広がりがありつつ、古典に基づいた旋律が展開されるという、ハイブリッドな曲に仕上がっています。この親しみやすさもまた、今日まで愛され続けた理由の一つでしょう。