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インタビューシリーズとして、Phonimの講座に出演する世界的なアーティストの皆さんから、出演の感想や音楽活動についてお話を伺います。
今回はドラムの講座に出演するレミオロメン 神宮司治氏。
「粉雪」「3月9日」など、歴史に残る大ヒットの数々は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
神宮司
レミオロメンの神宮司です。
収録ではお疲れさまでした。改めてよろしくお願いします。
ドラムを始めたきっかけは?
私が中学一年生、兄が高校一年生のときにドラムを始めていて、田舎だったので家にドラムセットがあり、叩けるような環境でした。
そして、見様見真似で叩いてみたのがきっかけです。

兄は、学園祭などで演奏していましたが、ドラム人口が少なかったため、いろんなバンドからドラムを演奏してくれと言われ、手が回らなくなってしまい。
それで中学三年生のときに代わりに高校の学園祭に急遽出ることになって、人前で叩いたのが初めてのライブでした。
そのときはすごく緊張しましたが、人前で叩く楽しさを初めて知ることになりました。
デビューまではどう繋がったのですか?
学園祭でコピーバンドをやっていましたが、みんな各々の進路で大学に進みました。
ヴォーカルは群馬の大学に行き曲を作り始めていて、ベーシストは東京に出てスタジオミュージシャンとして活動していましたね。
この二人がたまたま会ってセッションしていたときに、ドラムが必要だな、となり、そのときにドラム叩いていた人がいたな、ということで私に連絡がありました。
「ドラム叩きたいなら叩かせてやるよ」と上から目線で言われて(笑)、地元山梨に帰りました。

高校を出るときに「一度だけ音楽をやりたい」と親に言いましたが、もちろん反対されて、大学に行き看護学校に通っていましたが、こんなきっかけでバンドを組むことになりました。
これが2000年の12月の話です。
ここから1年間は学業とバンドを両立してやっていたんですけれども、3年生に上がるタイミングで親に頼み込んで「バンド活動を真剣にやりたい」と言いました。
そうしたら、なんとか認めてもらい、「半年で成果が出なかったらやめるんだぞ」と言われました。
それからは、一生懸命毎週東京に出て、ライブ活動をしていました。
運がよかったのか、偶然事務所のほうから声がかかり、その後デビューに至りました。
当時はどんな練習を?
バンドをやるようになってからは、曲のセッションがメインでした。
ですから、ドラムの実力はそこまでなかったと思いますが、当時はレミオロメンは音楽力が高いといわれていました。
今から思い返すと当時の実力はそんなでもなかったと思うんですが(笑)。

フォニムの講座のなかでも扱っていますが、レニー・クラヴィッツは大好きでコピーしましたし、オアシス、エアロスミス、など、兄の影響で洋楽をコピーしていました。
特にレニー・クラヴィッツは私のドラムプレイの元になっているといっても過言ではないくらい影響がありました。
レミオロメンの活動は?
レミオロメンは2000年に結成して、2003年にメジャーデビューして、2012年から活動を休止しています。
最初はメンバーみんなで車を運転しながら全国を回って、だんだんと皆さんに知られるようになり、だんだんと大きな会場や、アリーナになっていき、日本武道館でもライブをできるようになりました。
とくに記憶に残っているのは、山梨に日本航空学園という学校があり、航空学園というくらいで大きな滑走路があります。
そこでライブをしました。

30,000人くらいお客さんをあつめて、長い滑走路の向こうまでお客さんが埋まっていました。
当日ライブがはじまる、というときに猛烈な雷雨に襲われて、航空学校なのでレーダーがあるんですが、次から次へと雷雲がやってきていました。
何十分もスタートが遅れて、これはもうライブはできないかな、というときに、わずかな時間晴れ間があり、数曲だけでも、ということでその時間で演奏をしました。
そしたら、奇跡的に、我々のいる会場だけ雷雲が避けていきました。
ステージの奥のほうではものすごい雷がビカビカ光っていて、お客さんからみると凄まじい演出に見えたと思います。
その後晴れて、虹も出て、すごく奇跡的なライブでした。
レミオロメンのドラムのフレーズは?
初期の段階では、バンドが3人だったので、一人ひとりの楽器の比率が大きくなります。
なので、よりいろいろな情報を詰め込みたいと思っていました。
ですので、初期は手数が多く、少しでも盛り上げたいと思ってパターンを作っていました。

アルバムが2枚目3枚目となると、鍵盤やストリングスなど他の楽器も入ってきました。
そうなると手数を多くしてしまうとほかの楽器を邪魔してしまうので、必要最低限のことだけ打つように変わってきました。
初期は足し算の考えでしたが、だんだんと引き算の考えに変わってきたわけですね。
自宅のドラム環境は?
家でもドラムを叩けるようにスタジオを作りました。
そこでなら、いつでも練習することができ、レコーディングもできるようにセッティングしたので、自宅で録音して納品ということもできます。
東京に出ていたころは、自宅でどうにかしてドラムを練習したかったので、ローランドのTD-12という電子ドラムを購入しました。
練習パッドしかなかったところから、ドラムが叩けるということになり、ドラムをやろうというモチベーションにもつながっていきました。
ここでV-drumを手に入れたのは自分にとって大きかったと思います。

もし皆さんがドラムを置けないという悩みをお持ちであれば、自分のスティックだけもって貸スタジオに出向いてみてください。1時間1,000円もかからないような値段で、生ドラムをたたくことができます。
みなさんに応援メッセージ
私自身はドラムの楽しさをみんなに伝えていきたいと思っています。
これからドラムを始めるということは、エネルギーが必要なことだと思います。
ただ、ドラムは8ビートさえ叩ければまず多くの曲と合わせることができますので、そんなところから気を楽にして始めてみてほしいと思います。

映像でも、わかりやすく、かつ楽しく、みなさんに色々な気持ちが伝わればいいなと思ってフォニムの教材を作りました。
もちろん楽曲をそのままコピーしようとすると大変ですが、必要最低限叩ければこんなに楽しく叩ける。
音楽はもっと自由に楽しんでいいんだよっていうことを伝えられればいいなと思っています。ぜひ色々と遊んでみてください。
レッスン内で使う曲は私自身がドラムを始めたときに影響を受けた、レニー・クラヴィッツ、オアシス、エアロスミスなどを選びました。
聞いただけでカッコいい!どこかで聞いたことある!というような曲です。

好きこそものの上手なれという言葉がありますが、楽しむことが上達に一番大切です。
難しいことも、楽しければ、これを克服してやる!という気持ちになります。
そのなかで、だんだんと自分に何が足りないのかが分析できるようになり、そこで練習方法がわかってきます。
練習方法、ゴールはありますが、まずは自分にできるところを探して、それで楽しんでみるということが大切です。
これからの活動、夢は?
レミオロメンが休止してから、スタジオでのサポートなどの仕事をするようになりましたが、スタジオの人たちはものすごく処理が速いです。
反応速度が速く、「こんな感じ」というとすぐにパッとできてしまいます。
自分自身に引き出しはあると思っていましたが、実際にはまだまだ全然足りないと感じました。
バンド内ではゆっくりとみんなで意見を出し合いながら曲を作っていました。
しかし、外で実際に活動してみると、当日すぐに合格点以上のものを出さなければいけない、というところがあります。
「現場にいって練習します」なんてありえなくて、「練習なんて家でやるものだ」というのが当たり前。
合わせをしたらもうすぐみんな演奏できていました。
バンドの中だと「練習しようか」というところから始まるので、そういう考え方の違いもあって、自分の力のなさを実感しました。大変でしたね。

僕自身、これからももっとドラムのことを多くの方に伝えていきたいなと思いながら、幅広い活動に挑戦するようにしています。
フォニムの収録もとてもエキサイティングでした。多くの方にドラムの魅力を知っていただけるのが楽しみです。
神宮司 治(Osamu Jinguji)
小学校からの同級生3人で、2000年12月にレミオロメンを結成。
3rd Single「3月9日」、8th Single「粉雪」は、今でも多くの人に支持され続けている。2009年、バンドにとって大切な日でもある3月9日、初のBEST ALBUM「レミオベスト」をリリースし、65万枚を超える大ヒットを記録。年末には「第60回紅白歌合戦」に出場。2012年にレミオロメンの活動休止を発表。現在は様々なアーティストのライブサポートやレコーディング等、多岐にわたって活動中。
